2011年11月14日月曜日

大坂城

大阪に学生時代の6年間住んでいましたが、大坂城には行ったことがありませんでした。いつでも行けると思うとなかなかいかないもんです。今回、関西に来たこの機にいってみることにしました。

谷町4丁目の駅をでると、小さく城がみえました。そして、城へ向かって歩いていくと、見覚えのある建物が。大阪時代ちょくちょくお世話になった公的機関のものでした。
その節はどうも。
嫌いじゃないですよ。建物は。


そして、てくてく歩いていくと、だんだん城が大きくなってきて・・・・・

どーん


そして、どーん


と、そびえ立つ天守閣がございました。上に登ると、ヘップの観覧車や、通天閣がちっちゃく見えました。


江戸城(皇居)に天守閣がないので、都市にそびえる城としては貴重な存在だと思います。そして、城内部の展示コーナーで勉強したところによりますと、大坂城もかなり波瀾万丈な歴史を辿っております。太閤さんが建てたのが一番最初ですが、家康公に攻め落とされて焼失、天守の石垣部分も埋め立てられ、豊臣方の黒壁天守から、徳川方の白壁天守となりました。そして、落雷で焼失、長年天守不在で、80年前に再建されたのが今の姿だそうです。

僕はこの話を聞いて、自分の辿ってきた道のりを思い返さずにはいられませんでした。家康公の地元三河に生まれ、大学受験で東京進出を目指すも失敗、大阪に暮らすことになり、どっぷり大阪のメンタリティに染まりました。

なんだかんだ大阪人がアンチ東京なのは、大坂城の歴史も関係しているのだと思います。東京から来た徳川に攻め滅ぼされ、城も造り直し支配されるという屈辱的な歴史を背負って、天守閣は復元しても東京との経済的格差は広がるばかり。

大阪はもっと必死にならなければならないと思います。
「大阪都」
結構なことじゃないですか。東京の支配から脱却しよう!

僕は常々大阪に戻りたいと考えていましたが、この2日間考えた結果、目標を達成するまでは、東京で戦い続けようと決めました(今住んでるのは神奈川だけど)。大阪にいては、どうしても自分を甘やかしてしまうからです。成功したと言えるようになって、大阪へ戻ってこようと思います。今回は気持ちの整理をつける意味で、大坂城に来れてよかったです。

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