2011年12月27日火曜日

「容疑者Xの献身」を初めて見ました

殺人事件自体よりも、容疑者Xの境遇について考えさせられるものがありました。

映画の中の京大(帝都大学)の講義室には、警察役の北村一輝が「ギャルがおおいなぁ」というほど女の子がいましたが、実際は、東大でも阪大でも、理系に進むと、女性はごく少数です。阪大の学部では、90人クラスで3人でした。

僕がいいたいのは、エキストラの男女比率についてではなく、容疑者Xはそんな、女性と関わる機会のほとんどない学生生活を送ったであろうという事です。大学時代、勉強をまじめにやればやるほど、出会いはなくなり、そのまま卒業します。就職先が、警視庁のキャリアだったり、京大の助教だったりすればまだましかもしれませんが、そこのポイントで失敗すると目もあてられません。

そもそも、高校、大学とまじめに勉学に励んだ高学歴者は、女性と楽しく遊ぶ事における競争力がありません。世間一般と少し違う感覚、視点を身につけてしまう為に、話をしていて共感を得づらくなるような気もします。それでも就職先が安定したそれなりの収入を得られるようなところであれば、そのスペックに目をつけた女性が寄ってくるでしょう(今は終身雇用もくずれつつあり、それも絶対ではありませんが)。ただ、それも遊び相手としてではなく、結婚相手としてです。20代遊び疲れた女性が「そろそろ落ち着くか」と目を向けるわけです。

容疑者Xの職業、高校教師が悪いとは思いませんが、女性がそれだけをみて寄ってくるなんてことはないでしょう。この先誰か女性と上手くいく確率が極めて低いと意識的であれ無意識的であれ認識していたXは、引越の挨拶にきた隣人に対し、「この人しかいない」と思い込むようになるのです。

もちろん、それは女性との出会いや、つきあい方に対する努力不足を指摘することもできるでしょう。ただ、日本の社会が表向きは、学生時代勉強に励む事を奨励しているのを鑑みると、それを忠実に実行したXの境遇がかわいそうになってくるのです。

僕は、学生時代、短期的な損得勘定から、勉強をまじめにしませんでした。その結論はまだ出ていませんが、今後10年以内に、僕のこれまでの生き方に対する審判が下される日が来るでしょう。少なくともXさんよりはマシになる事を望みます。

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